長年の不調に終止符!身体の暗号を解く姫路の「はくじゅ鍼灸院」

「脈だけで、そんなことまで分かるんですか?」
取材中、何度もそんな言葉が頭をよぎった。
院長が見ているのはレントゲンでもMRIでもない。手首にそっと指を添え、脈の変化から身体の状態を探っていく。
話だけ聞くと少し不思議な世界にも思える。でも目の前で話を聞いていると、どこか理屈よりも「積み重ね」の重みを感じる。
というのも、院長自身、学生時代は脈診を信じていなかった一人だったからだ。
「こんなん分かるわけない。」
そう思っていた人が、自分の身体で確かめ、友人の身体で確かめ、何年もかけて少しずつ形にしていったものが、今の診療につながっている。
派手な言葉はない。
「奇跡」なんて言葉も使わない。
ただ、身体の声を聞くことだけは誰よりも楽しそうだった。
その姿が、どこへ行っても改善しなかった人たちが、最後にこの場所を訪れる理由なのかもしれない。
脈に現れる108箇所の真実。数値を超えた指先の感触

実は院長が鍼灸の道へ進んだきっかけは、「治す側」ではなく「治してもらう側」だった。
大学時代、原因の分からない体調不良に悩まされ、一時は入院生活を送るほど身体を壊した。
なんとか退院しても、以前のようには動けない。
「これが普通なんや。」
そう思い込んでいたという。
そんな時に出会った接骨院で、少しだけ身体が軽くなる感覚を知った。
ほんの少しでも身体は変わる。
その経験が、「鍼灸を学んでみよう」と背中を押した。
とはいえ、最初から順調だったわけではない。
専門学校へ進学して最初にぶつかったのが、「脈診」だった。
東洋医学では昔から大切にされてきた診察方法だが、授業で習ってもさっぱり分からない。
「この脈はこういう状態です。」
そう説明されても、「いや、その違いが分からへん」と思っていたそうだ。
今の姿からは想像もできない話に思わず笑ってしまった。
ところが、ある先生から言われた一言が転機になる。
「毎日、自分の脈を診てみ。」
半信半疑のまま続けていると、ある日気付く。
偏頭痛の日だけ、脈の感触が少し違う。
偶然だと思った。
でも次も、その次も同じだった。
気になって友人にも協力してもらう。
脈を診てから、「今、頭痛してへん?」と聞く。
返ってきたのは驚いた表情だった。
「なんで分かったん?」
その瞬間、「分からない」と思っていた世界が、一気につながった。
それからは毎日のように身体と向き合った。
今日は首。
今日は背中。
今日は腰。
脈の違いと身体の状態を照らし合わせる。
自分で確かめ、また確かめる。
その積み重ねが少しずつ精度を上げていった。
最初は大まかにしか分からなかったものが、やがて細かく分類できるようになり、現在では108の領域として身体の状態を捉えているという。
「108って聞くと煩悩みたいですけどね。」
そう笑う院長。
数字だけを見ると特別な理論のように聞こえる。
でも話を聞いていると、それは何かを思いついたというより、「気付いたことを書き留め続けた結果」に近い。
昔の文献も参考にしながら、自分の身体で試す。
患者さんを診て、また考える。
その繰り返しだった。
取材中にカルテも見せてもらった。
細かな記号がびっしり並び、正直こちらには暗号にしか見えない。
「他の人が見ても分からんと思います。」
院長は笑う。
でも、その言葉の裏には少しだけ嬉しそうな表情もあった。
長い時間をかけて積み重ねてきた、自分だけの地図。
それを今日も目の前の患者さんと照らし合わせながら、新しい発見を探している。
だから診療は、毎回少しずつ違う。
身体が違えば、答えも違う。
その当たり前を、誰よりも楽しんでいる人なのだと思った。
伝説の師匠から受け継いだ「手が勝手に決める」神髄

108という考え方が形になっていく一方で、もう一つ院長の治療を大きく変えた出会いがあった。
専門学校時代、一人の先生に呼び止められた日のことだ。
「お前、ちょっと来い。」
何か怒られるのかと思った。
ところが先生の口から出たのは、まったく違う言葉だった。
「お前、身体悪すぎるから治させろ。」
さらに続けてこう言われた。
「普通の人の疲労が100やとしたら、お前は400や。」
自分ではそれが普通だと思っていた。
長年不調を抱えていると、それが当たり前になってしまう。
だからこそ、その一言は大きかった。
先生は無料で治療を続ける代わりに、「身体がどう変わったか全部教えてほしい」と言った。
週に2回。
それを2年以上。
患者として通いながら、院長は身体だけでなく、先生の手元も見続けていた。
その先生は、日本でも限られた流派を受け継ぐ鍼灸師だった。
問診は驚くほど少ない。
身体に触れ、「今日はここ」と治療点を決めていく。
「なんでそこなんですか?」
何度聞いても返ってくるのは、
「なんとなく。」
という一言。
最初は不思議だった。
でも治療を受けるうちに、その「なんとなく」は、何十年も積み重ねた経験が指先に染み込んだ結果なのだと分かってきた。
身体を信じる。
手から伝わる小さな違和感を信じる。
その姿勢は、今も院長の診療の根っこになっている。
卒業後は治療院へ勤めながら経験を積み、姫路ではくじゅ鍼灸院を開業。
以来、多くの患者さんと向き合ってきた。
訪れるのは「最初の一軒目」の人よりも、「いろいろ試したけれど変わらなかった」という人が多いそうだ。
だからこそ、「絶対治ります」とは言わない。
「まず何回か身体を見せてください。」
その言葉から診療が始まる。
焦らず、一人ひとりの身体を確かめる。
その積み重ねが、紹介を呼び、今につながっている。
取材中、思わず笑ってしまったのがゴルフの話だった。
患者さんの中には、ラウンド前や昼休憩に鍼を受けに来る人もいるという。
「午後の方がスコア良かったわ。」
そんな報告を受けることもあるそうだ。
もちろん、鍼を打てば誰でもスコアが伸びるわけではない。
でも、身体が軽くなれば、最後まで気持ちよくプレーできる。
好きな趣味を思い切り楽しめる。
院長が見ているのは、痛みだけではない。
「やりたいことを、やりたいように続けられる身体」なのだと感じた。
まとめ
取材を終えて強く印象に残ったのは、「すごい技術を持った先生」というより、「身体のことを知るのが好きな人」だったということだ。
分からないことがあれば、自分で試す。
患者さんの身体から学ぶ。
その繰り返しが、今の診療につながっている。
だからこそ、「どこへ行っても変わらなかった」という人が、この場所を頼るのかもしれない。
身体の不調は、人それぞれ違う。
だから答えも、一つではない。
もし今、「もう仕方ない」と諦めかけている不調があるなら、一度違う角度から身体を見てもらうのも一つの選択肢かもしれない。
その小さなきっかけが、毎日を少し軽くしてくれることもある。
※ 2026年6月30日現在の情報です。
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